気ままに映画ブログ

気ままに映画の感想をかいています。ちょっと古めの映画が好きです。

てか、人の役に立ちたくね?

みなさんこんにちは

21歳、女子大生 まんじゅうです!

 

なんか21歳になってやっと最近、

人の役に立ちてえ、、、

みたいなことを初めて思い始めたんだけど

 

みんなどうなの?

 

自分的には、

中学生とか高校生くらいの時って

人に優しくするとか、

誕生日サプライズするとか、

ボランティアとか、

それって結果自分の好感度あげるためだけじゃん?

とか思っちゃう性根の腐った野郎だったんだけど

 

 

今の自分が人の役に立ちたいとか思うのも

若干恥ずかしいよね

 

 

そんな考えだった自分は

今までクソほど自分勝手に生きてきたし

どれだけ自分の意見を貫けるかみたいな

発想だけで生きてきたんだけど

 

ここんとこ怖いくらい

それまでの人に対する態度とかに

申し訳なく思い始めたんだが、怖くない?

 

社会性なんか必要ねえとか

自分の意見すら言えねえやつってなんなの?

 

って思ってきたんだけど

 

これは何の変化なの?

 

成人だからなの?笑

 

しかもこれをブログにしちゃうあたりなんなの?

 

人の役に立ちたいと思いつつ

何したらいいかわからんから

とりあえず言葉にしてみたんだけど

 

こんなん誰の何の役にたつん!

 

 

 

 

 

 

 

スティーブン・スピルバ-グ監督!「ジョーズ」感想・口コミ・ネタバレ

不朽の名作!ジョーズがおもしろすぎる!

 

今日はジョーズの映画紹介をしてみる。

 

あらすじ

アメリカ東海岸に位置する海辺田舎町・アミティの浜辺に若い女性の遺体が打ち上げられた。町の警察署長ブロディは、その死因が「の襲撃」と断定し、海岸を閉鎖して遊泳禁止にしようとするが、市長のボーンを初めとした町の有力者らに、町が成り立つ最大の要因の夏の観光による収入が無くなることを理由に拒否され止められる。その結果、またしても海で泳いでいた少年の一人が第2の犠牲者となってしまう。

その少年の両親が「仇の鮫退治に賞金をかけた」ことで事態は公となり、アメリカ中から賞金目当てのハンターがアミティに押し寄せ、現場は大騒ぎとなった。その対応に追われる一方で、ブロディは鮫の専門家である海洋学者フーパを呼んで協力を依頼する。フーパーは最初の遺体を検視し、非常に大型の鮫による仕業と見抜く。(wiki

 

ジョーズは正直、

名前は知ってるし、内容もなんとなく知ってるけど

見たことないって人多いと思う。

 

でも、そんな人には

とりあえず見てほしい、、、。

あのハラハラ感が予想以上におもしろい。

 

だいたい週に1本くらいのペースで映画を見てるが、

ジョーズはここ3カ月みた映画で一番くらいにおもしろかった。

 

youtu.be

 

とりあえず、NETFLIXでみれるみたいなので

リンクを貼り付けておく。

 

 

 

ここからは、ネタバレを含むので

ジョーズをみてから戻ってきてもらいたい。

 

 

 

 

目次

 ジョーズのみどころ

 1.ブロディ署長の葛藤

 2.頑固な3人の男たちvs巨大ホオジロザメ

 3.   やっぱり"あの効果音"

 

 

 1.ブロディ署長の葛藤

 

ブロディの署長として「島の治安を守りたい」という思いと

島の一員としての市長の意向に逆らえないという思いが拮抗し、

前半戦ではブロディは頭を抱えてばかりだった。

 

この経済を優先するか、

人の命を優先するかみたいな議論って

今のコロナへの対策に通じるような気もした。

 

とくにこのジョーズの場合は

人命を優先した方が長期的にも有効だと思うんだけど。。。

でも蓄えがなけりゃそんな長期的にとかいってらんないよね、、、

 

でもまたブロディの立ち位置の難しいところは

ブロディは島の治安の責任者ってとこなんだよね。

 

でもこういうときに的確な判断をくだせるのは

やっぱり「第三者」だとおもう。

 

今回でいう海洋学者的なポジションの人がやっぱり必要。

 

結局、署長は海洋学者にはげまされて自分でサメを捕まえに!

 

 んー。でもコロナで言う第三者ってだれなんだろう?

 

多分WHOの人間なんだろうけど結局国籍とか見て

中国寄りだの、トランプ寄りだのって言われるからなあ。

 

もっとWHOを無機質な学者的な存在としてみれたら

世界各国の対応も変わるんだろうなあ。

 

 

 2.頑固な3人の男たちvsホオジロザメ

 

三人の男たちは、田舎町特有の緊張感を見せて島を出た。

 

ブロディ署長と海洋学フーパー、それと地元の漁師のクイント。

この3人でサメ退治に向かう。

 

学者のフーパーは漁師の厳しさを見せつけるクイントに面食らってしまう。

 

クイントの威勢の良さに

終始ギスギスした感じが続いたが、

夜になるとクイントとフーパーは古傷を見せ合って、和気藹々としていた。

3人でお酒を飲み、陽気に歌まで歌い始めた。

 

このときの空気は、当時のアメリカ特有の

楽天的で情熱的な空気を感じた。

 

この空気は自分にはには出せない良さがあると感じた。

 

この良さはお互いに意見をぶつけ合う人間同士でないと生まれない。

 

友達とあんなに緊張感をもって仕事をすることも自分にはなかなかない。

目的に向かって、怒鳴り合うこともなかなかない。

 

そんな自分からみると、あんなにいやな出会い方だったのに

一緒に歌って、和気藹々とできる光景がすごくうらやましかった。

 

 

3. やっぱりあの効果音

 

映画みたあとも頭に残るのがあの効果音。

 

あの効果音がなかったと思うと

まるで映画が違う物になっていたんじゃないかとおもってしまう。

 

効果音の偉大さに気がつかさせられる映画だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フロイトとユングの確執「危険なメソッド」の感想・ネタバレ・口コミ

ユングフロイトの出会いから決別までを描いた危険なメソッド

見た後もわくわくが止まらないので

はじめて映画レビューというものを書いてみる。

 

この映画のみどころは3つあった。

1つはもちろん「ユングフロイトの生き方の違い」

2つめは「ユングの妻と愛人の生き方の違い」

3つめは「ユングの愛人ザビーナの自己破壊の考察」

 

ユングフロイトの生き方の違い」

ユングフロイトの生き方はまるで正反対であった。

 

フロイトは頑固で他の人の意見に影響を受けない

キャラクターとして描かれていたが、

 

患者やフロイトの考えを自分に取り込み、

葛藤を抱えるユングは、フロイトと正反対だった。

 

特に、患者で医者を目指すザビーナと、

患者であり精神科医であるオットーグロスとの出会いは

妻以外との性交渉をしなかったユングの価値観を変え、

ザビーナとの関係を始めてしまった。

 

その結果、フロイトとの関係にも亀裂がしょうじてしまう。

 

こうして、他人の価値観に翻弄されながら生きる

ユングは強固な自分を持ち、

その内実をなかなか見せようとしないフロイトよりも

精神を病んだり、病院を辞めざるを得なくなったりで苦悩が多い気がした。

 

にもかかわらず、どうしてこんなにユングが魅力的にみえるのだろう?

 

フロイトの生き方は一見正しく、まっとうな生き方に思える。

 

しかし、新しい「正しさ」(?)、人の心に寄り添えるのは

人にあわせて変化できるユングのほうではないだろうか?

 

 

 

 

愛人ザビーナと妻エマの生き方の違い

 

二人の印象をざっくり言えば

ザビーナは異端的、エマは真面目で敬虔な印象であった。

 

ザビーナは登場シーンからいかれていた。

馬車のなかであばれ、

池で泥だらけになって暴れ、

ついにはお医者さんにキスを、、、

 

その反面、

エマは女の子が生まれて夫に謝り、

魅力的でなくなると不安になり、

夫が不倫していると知っても耐え、

とても我慢強い、妻の鏡のような女性だった。

 

 

妻の鏡のような女性を目の前にしても

ユングが求めたのは

趣味が合い、新しい自分を教えてくれるザビーナだった。

 

こんな構造は

「人間失格 太宰治と3人の女たち」でもみた気がする。

 

耐え続ける妻、

太宰にインスピレーションを与えた自由家の静子、

太宰へ執着し続ける富栄。

 

富栄は太宰が富栄から離れることをゆるさず、

太宰と共に入水自殺をして死んでしまう。

 

彼女たちはそれぞれの方法で太宰を愛したが、

結局一番幸せだったのは自由に生き続けた静子のように思う。

 

 

ザビーナの前半期は入水自殺を完遂した富栄のようであり、

彼女の後半期はユングを愛しつつも自由に生きる静子のようだった。

 

太宰の妻もユングの妻も、耐え忍び続けるという点でそっくりであった。

 

しかし、太宰が本当に愛したのは耐え忍び続ける妻美知子であった。

 ここが、堕落した太宰と苦しみにくれたユングの違いのように思う。

 

ザビーナの自己破壊の考察

 ザビーナは後に精神科医を志すが、

その論文の内容には感銘をうけた。

 

ザビーナは

男女が性交渉をするとき、

二人がぶつかり合うことで自己が破壊され、

新しいものが誕生する。

 

なんとなく

実体験と重なる部分があったからこそ

この理論はとてもおもしろかった。

 

またこの理論はユング自身も、

ザビーナ自身の姿も投影されているように思う。