気ままに映画ブログ

気ままに映画の感想をかいています。ちょっと古めの映画が好きです。

フロイトとユングの確執「危険なメソッド」の感想・ネタバレ・口コミ

ユングフロイトの出会いから決別までを描いた危険なメソッド

見た後もわくわくが止まらないので

はじめて映画レビューというものを書いてみる。

 

この映画のみどころは3つあった。

1つはもちろん「ユングフロイトの生き方の違い」

2つめは「ユングの妻と愛人の生き方の違い」

3つめは「ユングの愛人ザビーナの自己破壊の考察」

 

ユングフロイトの生き方の違い」

ユングフロイトの生き方はまるで正反対であった。

 

フロイトは頑固で他の人の意見に影響を受けない

キャラクターとして描かれていたが、

 

患者やフロイトの考えを自分に取り込み、

葛藤を抱えるユングは、フロイトと正反対だった。

 

特に、患者で医者を目指すザビーナと、

患者であり精神科医であるオットーグロスとの出会いは

妻以外との性交渉をしなかったユングの価値観を変え、

ザビーナとの関係を始めてしまった。

 

その結果、フロイトとの関係にも亀裂がしょうじてしまう。

 

こうして、他人の価値観に翻弄されながら生きる

ユングは強固な自分を持ち、

その内実をなかなか見せようとしないフロイトよりも

精神を病んだり、病院を辞めざるを得なくなったりで苦悩が多い気がした。

 

にもかかわらず、どうしてこんなにユングが魅力的にみえるのだろう?

 

フロイトの生き方は一見正しく、まっとうな生き方に思える。

 

しかし、新しい「正しさ」(?)、人の心に寄り添えるのは

人にあわせて変化できるユングのほうではないだろうか?

 

 

 

 

愛人ザビーナと妻エマの生き方の違い

 

二人の印象をざっくり言えば

ザビーナは異端的、エマは真面目で敬虔な印象であった。

 

ザビーナは登場シーンからいかれていた。

馬車のなかであばれ、

池で泥だらけになって暴れ、

ついにはお医者さんにキスを、、、

 

その反面、

エマは女の子が生まれて夫に謝り、

魅力的でなくなると不安になり、

夫が不倫していると知っても耐え、

とても我慢強い、妻の鏡のような女性だった。

 

 

妻の鏡のような女性を目の前にしても

ユングが求めたのは

趣味が合い、新しい自分を教えてくれるザビーナだった。

 

こんな構造は

「人間失格 太宰治と3人の女たち」でもみた気がする。

 

耐え続ける妻、

太宰にインスピレーションを与えた自由家の静子、

太宰へ執着し続ける富栄。

 

富栄は太宰が富栄から離れることをゆるさず、

太宰と共に入水自殺をして死んでしまう。

 

彼女たちはそれぞれの方法で太宰を愛したが、

結局一番幸せだったのは自由に生き続けた静子のように思う。

 

 

ザビーナの前半期は入水自殺を完遂した富栄のようであり、

彼女の後半期はユングを愛しつつも自由に生きる静子のようだった。

 

太宰の妻もユングの妻も、耐え忍び続けるという点でそっくりであった。

 

しかし、太宰が本当に愛したのは耐え忍び続ける妻美知子であった。

 ここが、堕落した太宰と苦しみにくれたユングの違いのように思う。

 

ザビーナの自己破壊の考察

 ザビーナは後に精神科医を志すが、

その論文の内容には感銘をうけた。

 

ザビーナは

男女が性交渉をするとき、

二人がぶつかり合うことで自己が破壊され、

新しいものが誕生する。

 

なんとなく

実体験と重なる部分があったからこそ

この理論はとてもおもしろかった。

 

またこの理論はユング自身も、

ザビーナ自身の姿も投影されているように思う。